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みく

Author:みく
自然の景色に囲まれて露天風呂で湯ったりするのがなにより好き♪

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大好きなエマちゃんへ♪

2012.12.08 00:00|未分類

あなたに会えなくなってもう一年になります。
エマちゃんは私にとって唯一無二の親友、
友人であると同時に、姉であり母のような存在の人でした。
一年経ったいまでも、
あなたの人生が終わってしまったということを信じられない私がいます。


一年前の12月8日午前5時頃、
長男のあっくんから「さっき母さんの呼吸が止まった」と電話をもらった時、
「でも心臓は動いているからまだわからないよね」
というようなことを私は言ったと思います。

「でもね、数時間すれば心臓も止まると思う」
彼の声はいつもと変わらず落ち着いていました。
そうだよね!
 あなたはいつも母さんの側にいて、
かあさんの命を真正面から見つめてきたのだから。

私から連絡を受けた友人は携帯の向うで悲鳴をあげました。
その前日、エマちゃんは病室のベッドに座って、りんごをスケッチしたんです。 にこにこ笑って、とてもご機嫌だったそうです。
エマちゃんらしいね!
最後にとびっきりの笑顔を見せて、そのまま眠るように逝ってしまいました。

病名は胸腺癌。 2年6ヶ月の闘病生活でした。
(胸腺癌は乳がんとはちがい、非常にまれな癌です)

こんな怖い病気を告知されても、
あなたは決して慌てず騒がず、泣き叫ぶことなく、 いつも家族のことだけを考えていたね。
気弱な私の気持ちも、いつも気遣ってくれました。
あなたの気丈さ、明るさには担当医でさえ救われたと思います。
エマちゃん、あなたは本当にすごい人です。  

エマちゃん11     


エマちゃんがこのブログに登場するのは、
「海のしょうげつ」「第7回トールペインティング作品展」
「沢田鮨」 「京懐石 八泉2」「望州楼2」
名前は出しませんでしたが、
「望州楼」「湯河原ふきや」も一緒でした。

ブログを持つ前、2007年5月には「「箱根吟遊」に2人で行っています。
「海のしょうげつ」以降はすべて発病してからの記事です。


2008年5月
「海のしょうげつ」
2人で行った2度目の温泉旅行。
暖かい季節が好きなエマちゃん、毎年5月に温泉に行こう!と決めたんだよね。
 

デッキ3 

テラスのディベッドで。ぽっこりお尻がとってもキュート☆エマちゃん2 

菜園での愉快な散歩、海を眺めながらのおしゃべり、
エマちゃんが食べられない料理をぜんぶ私がもらっちゃったり、
ベッドで深夜までおしゃべりしたり・・・。
そうそ、夜次男のだいちゃんから「母さん何時に帰ってくるの?」
と電話がかかってきたっけ(笑)

これからもこんな楽しい旅がず~と続くと思っていました。


2009年 は作品展の準備が忙しくて旅行はお休み。
その年の7月、「私がちょっと大変なの」と電話をもらい・・・、
それからエマちゃんの病気との闘いがはじまります。
検査入院で胸腺腫は悪性と分かり・・・、この頃の私は泣いてばかりいました。 力にならなくてはいけないのに、いつも反対に励ましてもらって、
本当にダメな親友です。


2009年9月 「第7回トールペインティング作品展」 
 
エマ先生4    

重い病気があるとは思えない、きらきら輝いて美しいエマ先生。
たくさんの生徒さんに慕われ、とてもとても素敵な作品を描いて、
ちょっぴり誇らしい気分になりました。

エマ先生 

エマ先生2 


作品展を終えるとすぐ入院、手術。
難しかった手術は大成功!悪いところは全部とれました。
「ボク、上手いよ」と言った担当の先生、ほんとうに上手かったね!!

放射線と抗がん剤治療を終え、自宅でのんびり休養、
(「こんなだらだら生活、生まれてはじめて。いいもんだね~」
働き者のエマちゃんらしい言葉です)
春になりやっと外に出られるようになりました。


2010年5月 「沢田鮨」
少しふっくらしたエマちゃんと。
たくさん食べてくれてすごくうれしかった!
1エマちゃん3 


このあと作品展の反省会、生徒さんとの食事会と、エマちゃん超多忙の夏に。
あまりに忙しくて横浜に来れなくなったのが残念でした。

この頃から時々生徒さんがやってきて、少しづつ教えるようになったんだよね。 エマちゃんも教室を小さくして続けていきたい、と。
どうかずっと元気でいられますように!それだけを願っていました。  


2010年9月下旬
あきちゃんも誘って、名古屋の「八泉」でお食事。
美味しい料理と楽しいおしゃべり・・・また一緒に行きたかったな。
 
エマちゃん9  

この時、名鉄改札口で待ち合わせをしたのですが、
エマちゃんが疲れた顔をしていてびっくりしました。
9月はじめに会った時は輝くばかりに綺麗だったのに・・・。
後で聞くと、一週間くらい前から咳がでてよく寝られないと。
料理は美味しそうに食べてくれたけど、
名古屋まで出てくるのは、きつかったね・・・、
ごめんね、無理させてしまって。 


10月、再発。
たった1年で再発です。 抗がん剤治療がはじまりました。
「どうか抗がん剤が効きますように!」と、いつも一緒に祈りました。


11月はじめ、中学校の同窓会がありました。
この時、「本当に抗がん剤効いているのかしら?
     あんまり体調よくないし・・・」
というエマちゃんの言葉がずっと心から離れなかった。

その心配とは反対に、
「腫瘍が半分になったよ!肺の影もすごく少なくなってた!!」
こう電話で聞いた時はあまりに嬉しくて、飛び上がって家中走り回ってしまいました。
仕事中と知っていても友達に電話してしまったり。

後で教えてもらったのですが、
抗がん剤が効かなかったら余命3ヶ月だったと・・・。
こういうこともエマちゃんは直接先生から聞いているんです。
「あの時はさすがに先生も言いにくそうだったよ。
だから半分になったと聞いて嬉しかった。先生も希望が持てたねって」
あなたという人は本当に・・・。


同窓会の後、温泉に行きたいというエマちゃん。
治療中に旅行するのは心配で気が乗らなかったのですが、
湯河原か熱海で宿を探すことに。
ぜったい風邪をひかせてはいけない! 移動が楽な場所!
食事は部屋食!
あまり時間もなかったので、何度か行ったことのある「ふきや」に決めました。

11月下旬、湯河原温泉「ふきや」
エマちゃん7 

エマちゃんに着付けをしてもらって♪ 
 
1エマちゃん6 

旅行中、何度も「病気になっちゃってごめんね」と・・・。
いま思うと、あなたは再発した時から、
ううん病気を告知された時から、きっと自分の運命がわかっていたんだね。


年が明け、エマちゃんは家族旅行で「風の谷の庵」「角上楼」に行っています。 「風の谷の庵」では料理の配慮をとてもよくしてもらったとすごく喜んで、
料理長にお礼の手紙を書いた程です。
よかったね!ほら、春でもちゃんと行けたでしょ!!


3月 未曾有の東日本大震災が!
誰よりも早く電話をくれて、
家の分の水やお米を買っておいてくれるエマちゃんちは、
すでに両親のいない私にとって第二の実家でした。
ありがとう!嬉しかった、本当に嬉しかったよ!!

「海のしょうげつ」にまた2人で行きたいと密かに思っていたんです。
でも頻繁に起こる余震と計画停電で落ち着かなく家を空けることができませんでした。
後悔しています・・・。
5月の温泉旅行、エマちゃんは行きたかったかもしれないのに。


6月 「望州楼」 みんなで食事
一緒に外食をするのはこの日が最後になりました
。 
エマちゃん8   


この後の検査で胸の影が大きくなっていたので、二度目の抗がん剤治療をすることに。
治療の効果はあり影は少し小さくなったのですが、副作用がとても酷かった・・・。  
 
それでもこのブログを見て、
「美味しそう~。写真を見ていると食べられそうな気がする」
そう言ってくれるのが嬉しくて、私はせっせとランチレポをアップしました。


9月はじめに久しぶりに会った時、あまりにも痩せていて驚きました。
「ねっ、私が抗がん剤を嫌がるの分かるでしょ」とエマちゃん。
「体力が回復したらまた抗がん剤をしてね」と私は何度も頼みましたが、
「完治するのならどんな辛い治療も我慢するけど、
治らないのなら、もう抗がん剤は嫌」というエマちゃんの意思は強く、
結局6月と8月の2回のみ・・・。

この時は一緒にお弁当を食べてアルバムを見ながら思い出話に花が咲いたね。 来月は写真を持ってくるね、と約束したのですが、
エマちゃんと楽しく話ができたのはこの日が最後です。


10月 栄養点滴をする為に入院。

「お風呂に入ったら胸が苦しくて大変だったの。もうお風呂に入らない。
いろいろなことができなくなっていって悲しいね」
エマちゃんからたった一度だけ聞いた弱音です。

私はこの時も泣いてしまって、最後は反対に慰めてもらうことに・・・。
なんて頼りない親友なんでしょう。
苦しくて辛いのはあなたの方なのに、私はなんの支えにもなれなかった。
なんの力にもなれなかった自分が情けなくなります。

入院は思ったより長引き、連絡がないので不安な日々を過ごしました。


11月 酸素をつけて退院

私はエマちゃんの身体が一番だったので、いつもお見舞いに行っていいか迷いました。
横浜から私が行けば、ぜったい無理してくれると分かっていたから。
それでもやっぱり退院してすぐ会いにいきました。

あなたはソファーで横になってうとうとしていたね。
薬をたくさん飲んでいたから、副作用で眠くなるのでしょう。
私は横に座って足をさすってあげることくらいしかできなかった。
エマちゃんの足は悲しいくらい細くて、涙をこらえるのが精一杯でした。


11月下旬 再び入院

抗がん剤をしないということ。それは「余命3ヶ月」に繋がります。
それでも私は、
エマちゃんが私を置いていなくなっちゃうわけがない、
と頑なに信じていました。
「みくちゃんには嘘は言わないよ」と言いながらも、
私が悲しまないように話してくれていることは分かっていました。

でもいつからか「人間、いつか死ぬのだから仕方ないよ」
「元気でいるのは無理だもの」「私がいなくなっても・・・」
そんなことを口にするようになり、
私が少しづつ覚悟をするように教えてくれていたのでしょう。

できることなら私が変わってあげたい、と本気で思いました。

元気でさえいれば、あなたは素晴らしい人生を送れるんだもの。
あなたを慕う大勢の生徒さん、
優しい母さん、尊敬できる母さんと家族みんなから愛され、
同級生にもお店のお客さんからも人気者だったエマちゃん。
人の為にあんなに一生懸命になれる人を私は他に知りません。
それなのに何故エマちゃんなんでしょう・・・。  


12月5日 病院にお見舞い

スイカを美味しそうに食べてたよ、自分で洗濯もしてる、
と友人から聞いていたので安心していたのですが・・・、
ベッドのエマちゃんは苦しそうな息をして殆ど眠っていました。
時々目をパッチリ開けるのですが、私のこと分かっていなかったかな。
でも帰る時に「みくちゃんありがとう」と小さい声で言ってくれたこと、
その一言がいまの私の大きい支えになっています。

最後に携帯で話したのは亡くなる2日前です。
「今度は金曜日に行くからね。待っててね!」と何度も何度も言うと、
「うんうん、わかったよ」と言ってくれたのに・・・、
その前日に逝ってしまいました。
声をだすと胸が苦しくて、ずっと話をすることができなかったんです。
この時、電話が繋がったのは奇跡だったのでしょうか。 


花2 


エマちゃんは私に3通の手紙を残してくれました。
はじめの一通は5月の日付、亡くなる7ヶ月前に書かれたものです。
6月「望州楼」で食事をした時にはすでにお別れの手紙が書いてあったのです。 エマちゃん・・・。
私はその手紙を告別式の日から一度も見返すことをしていません。
でも7月に病室で書いてくれた手紙の最後の3行はしっかり頭の中にあります。
『ランチ行きたいなー。温泉にも入りたいなー。散歩でもいいです。』    

   
  2エマちゃん  


おおらかでいつも笑顔が素敵だったエマちゃん♪

私も一緒だよー!
叶わなかった沢田鮨のランチ、一緒に行きたかったね!
海のしょうげつ、また行けたらどんなに楽しかったでしょう。
それもこれもダメなら、故郷の街を2人で歩くだけでもいいよ!
「おひさま」を一緒に観たり、
オリンピックの真央ちゃんをメール交換しながら応援したり、
そんなことでもいいから、もう一度できたらうれしいね。

あなたを想う時、いつもそこには笑っているエマちゃんがいます。
あったかくて優しくて大好きだったよ。
ながい間、友達でいてくれてありがとう。 親友と呼んでくれてありがとう!


あなたがいなくなってしまって、私の人生の楽しみは半分になってしまいました。
遠く離れた土地に来てしまったけれど、
いつもなにかあるとエマちゃんが力になってくれました。
エマちゃんがいるから、なにがあっても大丈夫!と思ってきました。
だからとても心細いけれど、寂しくて悲しいけれど、
あなたの強さを少しでも見習って、これから生きていきますね。



《追記》
エマちゃんは毎年、市の健康診断を受けていました。
その他に、胃腸科・婦人科でもきちんと検査をしています。
「子宮頚癌だけじゃなく子宮体癌の検査もしなくちゃダメ」
と教えてくれたのもエマちゃんです。

ただ市の方針が変わって、健康診断から胸のレントゲンがはずされました。
ある事情があり申請が遅れていた為、一回だけレントゲンが抜けたのです。
その為に病気の発見が遅れました。

一年早く発見されていたら、エマちゃんは今もぜったい元気でいたはずです。
悔しいです・・・。
それでも決して誰も恨まず愚痴も言わず、
自分の運命と受け入れて天国に旅立っていきました。

「癌が簡単に治る病気になればいいのに」と私が言うと、
「そうしたら世の中老人だらけになっちゃうよ」と明るく言ったエマちゃん。
それでもいい、老人だらけになってもいいから、 
癌が完治する病になること、ただそれだけを願ってやみません。


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